4月25日(木) 健康教育講演会「ホスピス・緩和ケア~終末期医療・看取り」
紹介~健康委員会 委員長 長澤 邦雄
皆様、今晩は。千歳ロータリークラブには9年ほど前に“健康委員会”が出来、委員会メンバーが交代で講義を受け持ち今年で8回目の開催となります。今回は佐藤秀雄PGの紹介で初めての外部講師として緩和ケア・クリニック恵庭の柴田先生をお招きし“終末期の医療”について講演をしていただこうということになりました。折角のお話なので我々だけで聞くのはもったいないということになり、千歳プロバスクラブ、千歳セントラルRCの皆様にも聴いていただこうということになりご案内したところこのように多くの80名もの方々にお集まりいただきありがとうございます。以下、先生のご紹介をします。
略歴 1947年 長崎県出身
1976年 北海道大学医学部卒業 第一外科に入局
1986年 学位 医学博士号取得
1987年 恵み野病院 外科 および老健施設・副院長兼務
2001年 室蘭の日鋼記念病院緩和ケア科科長 2010年3月 緩和ケアクリニック・恵庭開院、介護施設「のりこハウス」開設役職
日本ホスピス緩和ケア協会監事 日本ホスピス緩和ケア協会元北海道支部代表
北海道緩和医療研究会幹事
道央地区在宅緩和ケアネットワーク代表所属学会 日本緩和医療学会、日本外科学会、日本癌治療学会、日本東洋医学会等々
著書 「ソフトランディング―末期がんをどう生きる」 (2000年) 「一般病棟における緩和ケアマニュアル」(分担執筆・2005年) 「かぎりなき使命―ホスピス・緩和ケアのプロたち」(2009年)※ホスピス~現在の意味は癌などの末期患者の身体的苦痛を軽減し、残された時間を充実して生きることを可能とさせるとともに、心静かに死に臨み得るよう幅の広い介護に努めるための施設。また、そのような活動。~広辞苑より講師~緩和ケアクリニック恵庭 院長 柴田 岳三 先生皆様、今晩は。お仕事でお疲れのところこんなに大勢の皆様にお集まりいただきありがとうございます。佐藤秀雄先生から、この演題で講演をお願いされたとき「これでいいのかな?」と少し考えた末にお受けしました。というのも少し前まではこのようなお話は「暗い」「縁起でもない」とかで避けられてきたものです。しかし、2~3年前から終末期医療について話をして欲しいとの依頼が増えてきて時代は変わってきた感があります。今日は「終末期の医療」についての話ですので、一般的には医学的な学術的な資料が出る場合が多いのですが、今回はそのような資料はなるべく除いて、皆様には身近に考えていただけるようなスライドを選んでお持ちしました。また終わりの方で質問タイムを設けますので、質問を受けながら議論をした方が、このようなスライドを見るよりは為になりますので沢山の質問を期待しております。
私は医者になってから25年間位は外科医でした。その外科というのは殆んど癌の治療が主であり日々、癌と向き合ってきたわけです。2001年に室蘭の日鋼記念病院にホスピスが出来るので来て欲しいということになり、それからホスピス病棟に勤務しておりました。その後、ホスピス病棟にいたのでは出来ない仕事があるということが分かって医者としての人生の残りの部分を“在宅ホスピス”というものを目指したいとの一念から緩和ケアクリニックを開院しました。今日のキーワードは“在宅ホスピス”と考えて下さい。
最初に質問をさせて下さい。「余命が6か月以内、癌で痛みがある」という設定で、皆さんがそうなった時、どこで過ごしたいですか? 第1問は「余命6ヶ月以内」の時、第2問は「いよいよ看取りの場面」となった時・・・何処で過ごしたいですか? 選択肢は①自宅 ②ホスピス ③癌センターのような最新のがん治療病院 ④今まで自分が掛かっていた一般病院 の4択です。この質問はどこが良いとか悪いとかの答えがあるわけではなく、自分が何処で過ごしたいかだけですから、お気軽にお答えください。
第1問での回答は①が約半数 ②約1/3 ③ゼロ ④3名 第2問の看取りの段階では①約半分以上 ②かなり減少 ③ゼロ ④3名 となりました。後のスライドの中で一般の方に同じ質問をした日本緩和医療学会のアンケート結果が出てきますので参考にして下さい。自分の選んだ場所が第1問目と第2問目で違う方がいらっしゃいますが、病気の進行状況によって居たい場所、過ごしたい場所は変わるものでもあります。
先ず、わが国の一年間に死亡される方の人数は2010年度で117万人です。そのうちの1/3程度が悪性新生物で癌とか肉腫とかでいわゆる治らない病気が一番多く、そして心疾患、脳血管疾患等々と続きます。心疾患も脳血管疾患も血管の病気で合わせると1/4位有りますが、ここのところ肺炎が増えてきて脳血管疾患を昨年あたりから抜いたようです。ただし、血管の病気というものは、年を取るにしたがって増えて来る疾患です。きょうの話の中心は悪性新生物、いわゆる癌の終末について、お話をしたいと思います。
終末期の死に至るまでのパターンを3グループに分けたLinnさんの論文を池上直己先生が日本語訳したものです。「①の癌等の死亡は数週間前まで生活機能は保たれ、以後急速に機能は低下」「②の心疾患、肺、肝臓等の臓器不全は時々重症化しながら長い期間にわたり生活機能は低下」「③の老衰や認知症は長い期間にわたり徐々に生活機能は低下」を表しています。現在の日本人は二人に一人は癌に罹り、三人に一人は癌で亡くなる時代です。癌というもののウェートは非常に重いものとなっていますし、痛みや全身倦怠感、呼吸困難などを筆頭に種々多数の厳しい症状があります。癌はいったん取り切れる状態で取り切れてしまえば、また、放射線で焼いて直してしまえば増えることはないのですが、いったん転移をしてしまい逡巡(しゅんじゅん)を始めると、基本的には癌という病気は治りません。いろいろな経過後余命6ヶ月近くなってきたものをターミナルステージ=終末期と位置づけ、生命予後6~1か月を「ターミナル前期」「数週間を同中期」「数日を同後期」「数時間を死亡直前期」と分けて、それぞれのステージで色々な症状や精神的な問題があり、患者さんはもとより家族に対するケアも重要なものとなります。
死が間近に近づいて来るとどういうことが起きてくるかというと・・・食べることが出来なくなり痩せ細ったり、3大苦の一つ全身倦怠感がひどくなりADL(日常生活機能)低下・・。もっと進行すると意識レベルの低下が見られます。この後、いわゆる危篤といわれる段階ではどういう症状が現れ、どう様態が変わって行くかということを関係施設のスタッフはもとより家族の方も知っておくべきです。(以下参照)
よく、末期癌の患者の家族の方から「あとどのくらい持つだろか?」と訊かれますが、予測は非常に難しいです。半年は大丈夫と思っていた人が2年も3年も存命したり、1ヵ月は持つかなと思っていた方が、翌日、急に心停止して亡くなってみたり、本当にわかりません。ただし、全体的に見ているとおおよその傾向が分かります。例えば、呼吸困難に陥ったらあと1~2ヵ月とか、死前喘鳴(しぜんぜんめい)のように痰とか水分が咽喉に絡んでゼコゼコする、自力で排出できない状況が起きて来たらあと1週間とか色々な症状を診ながら判断して行くことになります。
癌という病気は厳しいものだということがお分かりいただけたと思います。また、亡くなる2ヵ月前ぐらいから、痛みが急激だったり、嘔吐が襲ったり、便秘などの身体的苦痛や、癌が治らないという不安感や恐怖心といった精神的苦痛、そして怒り、うつ状態等が一度に噴出してくる。社会的苦痛や癌治療費が高額なための経済的苦痛など様々な問題点を患者と家族は抱えています。更にもっと問題なのは夫婦関係、親子関係、嫁と姑関係、遺産問題等々の人間関係に亀裂が入ることです。そのような根源的な辛さが全部一緒に出て来ます。私達はこれをトータル・ペインという言い方をします。この辛い症状を少しでも和らげようと存在する施設が「ホスピス」なのです。ですから、そこで働く人間はトータル・ペインに対してトータル・ケアを全人的に、臓器だけを見ていたのでは駄目であり、全体を診てケアをしなければならないという考え方を持っています。
日本の癌治療には手術や抗がん剤、放射線などの積極的治療と、それをやりつくした後に緩和医療に突然移りましょうと言われることが少なくありません。この時の患者さんの心的ショックは大きなもとなります。このことは何年も前から見直そうといわれ続けているものの改善されていません。ですから「緩和医療」は「看取りの医療」と言われたりもします。WHO(世界保健機関)では「疾患の早期から緩和ケアは必要である」と提唱しています。2002年には再度、癌と診断を受けた時から緩和医療に入るべきで、積極的治療と同時に緩和ケアのサポートが必要で、それが患者さん本位の考え方であるとしています。場合によっては患者さんが亡くなった後、遺族もケアしなければなりません。先ほど申し上げたように、「緩和ケア」「緩和医療」というものは中々、受け入れらてもらえず理解されていないのが現状で、いまだに積極医療が限界だから・・・と回されるケースが多数派です。今までの日本の医療は、終末期の癌で治る見込みのない患者にも無理を強いて直そうと抗癌剤治療等を施し、苦しみながらでも1週間とか2週間の延命が図れれば良しとしていました。そのような「治す医療」が中心でしたが、もっと「支える医療=痛みや苦痛を和らげる医療」も大切ではないかとの意見も多くなってきています。私達は自分の生き方、どのような終末期医療を望むのかを家族や周りの人に伝えておく必要があります。ただ、当初の希望と終末期が実際訪れた時の希望が変わるかもしれませんので、その点も配慮しなければなりません。
最後に本日のキーワード「在宅ホスピス」に関してですが、「治る見込みがなく、死が近い場合、終末期にどこで過ごしたいか?」の問いに「自宅。実現可能だと思う」23.8%、「自宅。実現は難しいが」55.1%と約8割の方が「自宅で過ごしたい」と回答しています。先ほどの皆様方の回答とほぼ同じ割合となっています。皆とにかく自宅が一番とのことでしょう。ただし、先にもお話しした通り「希望する療養場所」は変化します。価値観、死生観等が変わってくるからでしょうか。この様な回答が多い中で、2001年で古いのですが現在とあまり変わらないデータなので使いました。癌患者の93%もの方が、実際は病院・診療所で亡くなっているのが現状です。日本の高度経済成長の始まりの頃から病院での最期が増えています。現在では癌患者の9割以上、癌患者以外を含めても8割以上が病院でなくなっており圧倒的に多数です。先進諸外国は3~5割位で選択の余地があり日本は選択の余地なしの状況です。さて、本題の「在宅ホスピス」とは「在宅ケアがされていて」しかも「ホスピスケアを受けられる」という考え方です。「在宅ケア」ができるための要件「医師、看護師による訪問診療と看護と緊急時の入院体制」があり、「ホスピスケア」を受けるための用件は「24時間ケア、症状が緩和されること、患者と家族をケアすること、学際的なチームケア(医者だけでなく各界からのメンバー構成)ができることが挙げられます。チームを組んで一人の患者さんのニーズを支えるというのがチームアプローチです。
在宅で亡くなる問題点も数々あります。家族の協力や介護力がなければ成り立たないし、死亡時に主治医が不在時でも警察が介入しなくてもよい条件や、痛みが強くなってきたときに最後まで家で見れるのか、老々介護の問題等数種類の難問が残る可能性が有ります。日本では施設での看取りはほとんどありませんでしたが、私達の拠点の恵庭も同じ状況下でしたが、私たち「のりこハウス」ではグループホーム3名、小規模多機能2名の看取りをしています。
皆さんは何処で死を迎えるのでしょうか?100%確実に死は訪れます。私は団塊の世代で、日本で一番人口の多い層ですからあと20年もするとどんどん死者数も増えます。今現在は年間117万人ほどですが150万人程度がなくなる時代となった時に自身の望む場所で最期を迎えられるのか疑問です。私の好きな西行法師は「願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」(できれば春、桜の花が満開のころ、陰暦2月の満月の夜にその桜の花の下で死にたいものだ)と歌って見事に実現した人です。いわば自分の死に場所を自分で設定したようなもので一つの生き方かな・・・と思います。人は最期どうなるか分りませんが、「いい死」というものが確かにあると思います。どういう「死」が良いのでしょうか? 感銘を受けるフレーズをご紹介しておきます。「今を肯定、これぞ極楽」(玄侑宗久)、「人は生きたように死んでゆく」(ウイリアム・オスラー)
私は医療と介護を有機的に結びつけることができないかとクリニックとグループホームと小規模多機能施設を開業しましたが悪戦苦闘中で非常に難しいということが分りました。これからもより良い医療と介護を目指してまいります。ご清聴ありがとうございます。