4月23日(木) 第42回(通算2370回)通常例会開催報告
日時:2015年4月23日 12:30~13:30
場所:ANAクラウンプラザホテル千歳 例会場
プログラム:通常例会
担当:次年度三役
本日の例会は、次年度三役が担当する例会でした。
※本日の昼食と例会前の会員の様子です。
3分間スピーチ 青少年奉仕・ローターアクト委員会 稲川 和伸 副委員長(稲川農園 代表)
皆さん、こんにちは。家業の稲川農園についてお話しいたします。
私は北海道に入植した開拓農家の三代目になります。祖父 稲川儀作が1898(明治31)年、岐阜県大垣市に生まれ、1913(大正2)年16才のときに当時、千歳村に入植していた叔父を頼って単身、北海道に渡り、日高から追分を経由して千歳に来て、叔父さんの家の手伝いを行ったのが始まりと聞いています。
祖父は、1919(大正8)年結婚を期に千歳の根志越で独立、1926(大正15)年に末広(現在の稲穂)に移り住み、原野・山林を開墾し、稲作農業を営んでおりました。高度成長時代の1965(昭和40)年頃から末広高台地区で都市計画が進み、近隣が宅地化されたため農業は稲作中心から畑作に転換しました。そのころから祖父は高台で借家・借地など賃貸業(いわゆる大家)を事業として始めております。高度成長時代の昭和40年代は駅裏の末広、花園、高台など市営住宅が立ち並び公園路地裏に子供の声が響きをわたる活気のある町となり、まるで映画の「三丁目の夕日」に描かれた時代そのものでした。
1979(昭和54)年には末広第三土地区画整理組合事業が始まり、現在の稲穂が造成されたため、私の父 稲川義夫が中央で農地と山林を購入し 畑作と苗木の育成を始めております。そのころ私は、千歳市農業協同組合に就職し、20代後半には佐々木昭さんが上司で仕事をはじめ勤務時間外でも色々なことを教わったのを思い出します。高度成長からバブルなどの時代であり仕事中心職場中心の生活でしたが、祖父と父の賃貸業を間近で見ていたこともあり二人目の子供の誕生を機に不動産賃貸、今でいうサラリーマン大家になりました。2008(平成20)年から北信濃地区であずさ区画整理組合事業が始まると両親の高齢化など農業を休業しております。2012(平成24)年3月には農協を退職、農業など家業を継いでおります。
祖父の生まれた岐阜県の生家と先祖代々の墓を一度、お参りしてきましたがわずか16才のときに単身で北海道に渡った祖父の勇気と行動を知るにつれ、先人たちの強さとたくましさに圧倒された思いでした。千歳ロータリークラブに入会し地元の創業者の方々の偉大さと二代目、三代目の方の困難に立ち向かうその勇気、企業の幹部の方の能力の高さなど身近に触れることができ、有り難いことだと思っております。今後も色々ご指導を頂きますよう宜しくお願いします。ご清聴有り難うございました。
進行:SAA・プログラム委員会 藤川 俊一 委員
国歌並びにロータリーソング「奉仕の理想」斉唱
四つのテスト 沼田 常好 会長エレクト
友情の握手タイム